まともな日本語書いてこやんかい!
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20070709
社内でも、文法的に首尾一貫してない(つまり、機械では解釈できない)文章を目にする機会のなんと多いことか。いちいち指摘してると仕事が進まないから見て見ぬふりをしてるけど、メンタルヘルス上とてもよろしくない。さらに、茨城弁ですらない「社内語」がまかり通ってることにも入社当初は面食らったものだ。ていうか今でも面食らいっぱなしだ。そりゃ専門用語や業界用語や社内略称を使うのは構わないよ。けどさ、日本語の文法自体にオリジナリティーを導入するのはやめようよ。助詞のない日本語は日本語じゃねぇ!
ところで、(周知のように)私は文章を書くのが苦手だ。だから脳みそから湧いてくる創作衝動はソースコードの形で発散する。なぜかというと、自然言語より人工言語の方がエントロピーが低い=最適化しやすいから。最適化といっても「実行速度を最大化」とか「ソースコードの行数を最小化」とか「可読性を最大化」とかいろいろ考えられるけど、とにかく自分の中で評価関数とその優先順位を決めてしまえば、それに従ってコードを組み替えていくことは難しくない(というか、楽しい)。
一方、自然言語で書く文章は自由度が高すぎてなかなか最適化できない。言いたいことをどういう順番で書けば最もわかりやすいか、その最適解が単純な方法では求まらない。「結論を最初に書け」とか「論理を飛躍させるな」とか「同じことは2度書くな」などなど遵守すべき原則はいろいろあるけど、あちらを立てればこちらが立たずで、評価関数が非線形になっちゃうのだ。人間の脳は非線形の最適化問題を解くようにできてないので、解空間の探索には(枝刈りはするにせよ)ものすごい時間がかかる。特に、長文をだらだら書いてると
- 書き進める(200字)
- 先頭から見直す(200字)
- 書き進める(200字)
- 先頭から見直す(400字)
- 書き進める(200字)
- 先頭から見直す(600字)
- …
てな具合になりがち。この場合、
Σ(書き進める時間) ∝ 全体の文字数 Σ(見直す時間) ∝ (全体の文字数)^2
∴ 全体の文字数 → ∞ のとき
(書き進める時間 / 見直す時間) → 0
つまり、一歩も進まなくなるのだ!
その点、口で喋ったりペンで書いたりする言葉は後から最適化できない=垂れ流すだけだから気が楽だ。他人のブログとか読んでると、あたかも喋るように文章を垂れ流してる人っているよな。あれは一種の才能だと思う。ひょっとして、親指シフトキーボードを導入すれば誰でも才人になれるのだろうか?
リンク先の記事にある やねうらお氏のコメント:
『短く無駄のない文を書くのは美徳だと思うのですが、読み手にわかりやすくするために敢えて冗長に書くのも大切なことだなぁと思います。』
私は冗長な文章を書く能力がほしい。