言葉狩り脳って…

朝日新聞より引用。

昼間の飲酒、女性に勧めないで 市民団体がCM規制要望
2009年8月1日1時4分

 女たちよ、一人気ままに昼間から飲もう――。そんなメッセージを発信するCMが相次いでいるとして、主婦連合会や日本アルコール問題連絡協議会など4団体が31日、大手酒類メーカーでつくる業界団体や厚生労働省などに、CMの自主規制強化や法的規制の検討を申し入れた。

 同協議会に加盟するNPO法人アスクが、今年6月にメーカー9社のホームページで確認できたCM(動画)全64銘柄について分析した。アスクによると、6割に当たる38銘柄で「一人酒」のシーンがあり、このうち22銘柄で女性が一人で飲むシーンがあった。青い空の下で歌って踊るものや、テラスでグラスを傾けるものなど「日中から楽しげに飲む」設定が目立ったという。

 4団体は「昼間の一人酒はアルコール依存症につながりやすい。しかも、乳がんのリスクが高まるなどアルコールの影響を受けやすい女性に対して、こぞって飲酒を推奨している」と主張している。

 申し入れを受けたビール酒造組合は「早々に検討し、業界としての意見をまとめたい」としている。

http://www.asahi.com/national/update/0801/TKY200907310494.html

私は酒も飲まないしテレビも見ないから利害関係ないけど、根拠のない表現規制を叫ぶ人たちには強く抗議したい。あなたたちは目先のリスクから逃れるために、もっと大切な何かを生贄に捧げようとしている。
主婦連らの表面的・理性的な主張は「(1) メーカーが一人酒の CM を流す → (2) 視聴者が一人酒の習慣を始める → (3) アルコール依存症乳がんのリスクが高まる」であるが、この (1)→(2) の部分は視聴者が自己判断能力を持っていないことを仮定している。主婦連らは 20 歳以上の視聴者をして「見たものを片っ端から真似する赤ん坊に等しい」と言っているわけだが、少なくとも私はマス広告によって購買行動を惹起された体験がほとんどない。本当に、そんな仮定が成り立つほど日本の消費者は馬鹿になったのか?
金融ビッグバンの頃には「(1) 郵便局が安易に投資信託を売る → (2) 高齢者が投資信託を始める → (3) 資産が目減りするリスクが高まる」という事象が問題視された。これも (1)→(2) の部分で購入者が自己判断能力を持っていなかった (そこに販売者側が付け込んで強引な売り方をした) ことが問題とされ、のちの法改正で販売者が購入者にリスクを説明する義務が強化された。つまり、

  • 郵便局が投資信託を売ろうとすること自体は OK であり、購入者のリテラシーが低いことが NG だった
  • そこで、購入者のリテラシーを高めることで問題に対処した

ということだ。実際には購入者のリテラシーは一朝一夕に向上しないかもしれないけど、問題解決の方向としてはこれで正しい。少なくとも「郵便局が投資信託を売ること自体を NG にせよ」という方向にはならなかったはずだ。
一人酒にせよ投資信託にせよ、問題の本質は販売者と購入者との情報格差にある。多くの情報を持つ販売者と少しの情報しか持たない購入者が取引するとき、購入者の判断能力は相対的に低くなり、あとあと購入者に不利な状況が起こるリスクが高まる。公平な取引をするためには情報量を同水準にしなければならない。
一人酒のケースで主婦連らは「購入者にインプットされる情報量を減らせ」と主張している。これにより購入者は、不利な状況につながる情報を目にすることなく、いわば除菌された少しの情報だけを与えられて、自分に有利な意志決定ができるようになるというのだ。ああっ、なんて他力本願なユートピア!!
情報格差の問題は情報量を増やすことでしか解決しない。本当にアルコール依存症患者を減らしたいのなら、「昼間の一人酒はアルコール依存症につながりやすい」ということを消費者に向かって叫べ。消費者が正しい意志決定をするための情報量を増やす努力をしろ。話はそれからだ。
ところで、何だかんだ言いつつ実際のところ、主婦連らの内面的・感情的な主張は「私が見たくないものを私の視界に入れるな」である気がしてならない…。もちろん、そういう意見を表明すること自体は表現の自由によって保障されてるから一向に構わないんだけど、「私が表現していることを実現するために表現の自由を縮小せよ」と叫ぶことの矛盾に、彼ら自身は気づいていないのだろうか?