進歩主義は非実在青少年の夢を見るか (3)

つづき。
何の話をしてたのかわからなくなってきたので、冒頭に書いた「彼らとの言論による合意形成が不可能だと悟った」理由を書いてみるテスト。
言論の自由」は自己言及的な非対称性を持つ不安定な状態だ。言論によって言論の自由を失うことは可能だが、逆はほとんど不可能である。どういうことかというと、

  • 言論の自由がある体制では、「言論の自由をなくせ」という言論もまた自由でなくてはならない。なくせ派≒国賦人権説が議会で多数を占めれば、民主的な手続きを経て言論の自由を廃止できる。
  • 言論の自由がない体制では、「言論の自由をよこせ」という言論は暴力によって禁止される。よこせ派≒天賦人権説が人口の多数を占めても、暴力に勝たない限り言論の自由は手に入らない。そして、非暴力をもって暴力に勝つことはきわめて難しい。

したがって長期的に (数世代〜十数世代のスパンで) 見ると、言論の自由を維持するためには流血が避けられないということになる。
なんだか悲観的な結論に達してしまった。言論によって言論の自由を維持できる制度設計が可能ならそれに越したことはないのだが…ひょっとして、それってゲーム理論的に不可能だったりする? (´・ω・`)